浅間山のおいたち


 浅間火山は複雑な構造をもっていますが、それは長い時間をかけてしだいにできあがったものです。
 一番下の黒斑火山が誕生したのは、おそらく今から約十万年も前のことと考えられます。鼻曲火山、浅間牧場付近の火山、浅間山あたりにあった古い火山などの上に成長して、海抜高度2,800〜2,900mほどの大きな円錐形の火山になったと想像されます。黒斑火山の活動は今から約2万年ほど前まで続いていました。その末期の2万1千年に烈しい爆発が起こり、山頂の東半分が崩れ落ちてしまいました。
 黒斑山の活動が終わったあとで、新しくデイサイトの噴火活動が起こって、大量の溶岩を噴きだし仏岩火山ができました。これは今から約2万年ほど前のことと思われます。この活動のあと、短い休止期間をおいて、デイサイトの軽石を大量に噴出させた噴火が起こりました。軽石を烈しく噴きあげた後に、軽石と火山灰が一団となって山腹にそって流れ下りました。このような現象を軽石流(火砕流の1種)と呼んでいます。軽石流は山麓部を埋めつくし、千曲川、湯川や吾妻川の谷も埋まり、南軽井沢のあたりには湖ができました。この事件は今からおよそ1万3千年ほど前のことです。軽石流の噴出は前後3回にわたって起こりました。その直後、噴出口のあたりを中心に山体が陥没したと考えられます。
 軽石流の噴出ののち、活動の休止期をおいて、まもなく再び活動がはじまり、前掛山が成長しはじめました。これはおそらく今から数千年前と思われます。活発に噴火を続け、どんどん大きくなって、現在のような姿になったのでしょう。東側の山麓につもる火山灰や軽石の層の重なり方から見て、10回ほどの大規模な活動の時期があったと考えられます。表層に重なる火山灰の層から、縄文時代中期(約4500年前)(D層)、4世紀中頃(C層)、天仁元年(1108年)(B層)、天明3年(1783年)(A層)に大噴火があったことが知られています。前掛火山の頂上は二重になっていますが、前掛山の火口ができたのは天仁元年の大噴火の時ではないかと考えられています。その火口の中に小さな中央火口丘ができはじめ、天明の噴火以来急速に大きくなって、現在の釜山となったのです。

数万年前 約2万年前 約9百年前
約2万2千年前 約1万3千年前 現在

一つ前に戻る

トップ | 浅間火山博物館 | 自然遊歩道 | 浅間記念館 | 浅間園キャンプ場 | 周辺ガイド | アクセス | 30年の歩み -